時計を壊せ

駆け出してからそこそこ経ったWebプログラマーの雑記

YAPC::Japan::Online 2022が終わり、その先の未来について

YAPC::Japan::Online 2022が終わりました。

JPA代表あるいはYAPC::Japan::Online 2022の主催としてのコメントはこちらに書きました:

blog.yapcjapan.org

ここでは、個人的に考えていることを書いてみます。

コミュニティ主催のカンファレンスの価値はなんだったのか

なぜ、ぼくたちはカンファレンスに参加(した|していた)んでしょうか?
なぜ、ぼくたちは、どこかの誰かがやってくれる大きなカンファレンスではなく、自分たちのカンファレンスを作っているのでしょうか?

人それぞれいろいろな答えがあると思いますが、はっきり「これだ」といえる理由がある方はおそらく多くは無いのではないかと思います。ぼくも、なんとなくカンファレンスに参加するのは好きだし、得られるものが多い気がしているだけで、あまりうまく言語化できないです。

自分の場合はどうだろうと、自分がカンファレンスに求めているものを言語化するとしたらなんだろうと考えると「自分の興味を広げる場」が大事なことの一つになるのかなと思いました。
そして、自分の場合はその主催者でもありますが、それに労力を割く理由はまた違って、PerlとPerlコミュニティの人々が好きで、それらのために少しでもなにか出来ることをしたいということになるのかなと思います。

自分の興味を広げるということ

自分の興味を広げる場、というのは実はなかなか作るのが難しいものだと思います。

なにか新しいことに興味を持つときのことを考えると、もちろん最初はそれに興味を持っていないわけですから、なにかきっかけが必要になります。 多くの場合、それは会話やSNS、テレビなどのマスメディア、あるいは仕事や生活のなかで起きることになります。

ただ、いずれも自分で選ぶものなので、いつの間にか傾向が偏っていきます。

フィルターバブルという言葉を聞くようになりましたが、ご存知でしょうか。 これはパーソナライズされたレコメンドなどを通じた情報に触れ続ける環境に居続けることによって、興味関心の薄い情報に触れにくくなる現象と言われていると思います。

フィルターバブルはこの最たるものの1つだと思いますが、そうでなくとも情報源を選択する必要がある以上は多かれ少なかれ偏りをもたらしているのではないでしょうか。 たとえば、普段よく見るテレビ番組はほとんど固定化されていませんか?新しい雑誌を最も最近読んだのはいつでしょうか?意識しなければ、たいていは同じものを選ぶのではないかと思います。 興味の幅を広げようと思っているのであれば、このような選択はしないほうがよいかもしれません。

自分の考えでは、興味の幅を広げるためには、興味関心から「少し」ズレた選択をすることが必要だと思います。 たとえば、身近な例だと、少し違う道を通って町並みを見てみる、書店に足を運んで少し違う本や雑誌を読んでみる、関連する少し違う分野の勉強をしてみる、といったようなことです。

カンファレンスの良さ

ぼくがカンファレンスの場に感じる良いところは、興味関心から少しズレたものに出会えるところでです。

カンファレンスに参加しようと思うと、一定のまとまった時間をカンファレンスに割くことになります。 目当ての発表がある場合はそれを聞きますが、そうでない場合はあまり興味がなかった発表を聞いてみたり、廊下などで近くにいた知り合いと話したりすることになるでしょう。 あまり興味がなかった発表が予想外に面白くてそのトピックに興味を持ったり、知り合いが聞いた別の発表について聞いたら

そして、懇親会で近くにいた人にとりあえず話しかけてみたりすると、全く違う発表に興味を持っていることがわかったりします。なかには当日に発表をしていた人などもいるでしょう。 その発表や分野の魅了を語ってもらったりするうちに、自分の興味がいつの間にか広がっているということも珍しくないのではないでしょうか。 さらに、気が合う人であればその後も他のカンファレンスなどで何度も合うことになって、いつの間にか同僚や友達になってることすらあります。

そういった、自分の興味を広げるチャンスがカンファレンスには多く広がっており、同じカンファレンスに参加し続けるだけでも少しづつそれを広げていくことが出来ると思っています。 そんな知的好奇心を刺激する楽しみがカンファレンスにはあります。また、いわゆる勉強会もその縮小としての楽しみがあるように思えます。

特に、コミュニティ主催のものはよりカジュアルなコミュニケーションに重きを置いていたり、トピックの幅も少し広く持っているものが多く、よりそんな楽しみが多いような気がしています。 (もちろん、企業主催のものでも通ずる部分は多いですし、また違った良さや面白さもあると思います。)

一方で、コロナ禍でオンラインカンファレンスが広まった後、オンラインカンファレンスでは以前ほどカンファレンスを楽しめないことが多くなったような気がします。

オンラインカンファレンスの難しさ

なぜ、コロナ禍でオンラインカンファレンスが広まった後、以前ほどの盛り上がりがなくなってしまったのでしょうか?

個人的な所感として、まず、懇親会への参加がいままでよりも難しくなったように感じました。

ZoomやGoogle Meetなどで大人数で雑談をしたり、オンライン飲み会をしたことがある方はおそらく共感していただけると思いますが、 意外と遅延が影響してなのか発話のタイミングが難しかったり、イヤホンやスピーカーだけでは同じ方向から複数の人の声が聞こえてくるからか聞き分けるのが難しかったり、カメラとマイクだけでは気分がなかなか共有できなかったりすると思います。

どれもちょっとしたことではあるのですが、その積み重ねでどうしてもある種のコミュニケーションの緊張感というか、そういったものが解きほぐしきれず会話が弾まない。会話が広がりにくいところがある気がします。

次に思い浮かんだものは、以前id:matsumoto_rさんが書いていたこの記事です。

hb.matsumoto-r.jp

自分は昨年に結婚をさせてもらったばかりで子供もいないのでまだ家庭内の仕事の総量は少ないほうだと思いますが、(パートナーがそこまで気にしていようといまいと)一定以上の負担をかけてしまう事実が自宅からオンラインで参加するとよりはっきりと分かるし、それがわかってしまえばそれを想像すると(オンラインでも、たとえオフラインに戻っても)二の足を踏みがちなのは気持ちとしてとても理解できます。(もちろん、それに何らか折り合いを付けて参加している方もおおぜいいらっしゃると思います。)

さらに懇親会といういわゆるサブイベントともなれば、ちょっとやめておこうという方も当然いらっしゃることでしょう。いい調子のときはただリラックスして楽しそうに喋ってるしそのように見えるものですから、パートナーからすると頭では分かっていても少しイラッとくる瞬間があるであろうことは想像できるでしょうし、そもそもの理解を得るにはコミュニティの文化的な背景とカンファレンス参加のモチベーションを共有する必要があるでしょう。

そして、一緒に参加している人の様子がわからないので、懇親会に参加してもどんな人たちと喋ることになるのかイメージが湧きにくいのも難しいポイントでしょう。

こういった様々なハードルがあってなのかはっきりとは分かりませんが、懇親会に参加する人はオンラインカンファレンスでは少ないようで、そうなるとやはり懇親会に参加する魅力はますます落ちてしまうでしょう。

このように、懇親会ひとつ取ってもこれだけ難しいので、オンラインカンファレンスには様々な難しさがあるといえます。

振り返ってYAPC::Japan::Online 2022ではどうだったのか

こういったことを感じていたので、目指したしたのが「ちゃんと交流できる」オンラインカンファレンスでした。

コミュニケーションの軸はDisocrdに置いて、いくつかの施策を実施したのですが、特に印象に残っているものを2つ紹介します。

裏トーク

まず、昨年にやったJapan.pm 2021でも同じことを目指して「裏トーク」というシステムを考えました。

これは、コミュニティの人を2~3人ほどMCとして招いて、カンファレンスの発表を聞きながらざっくばらんに語りあってもらい、それを参加者でトークの副音声として聞くことができるという仕組みです。 これによって、プラスアルファの楽しみを感じてもらいながら「空気感」を感じてもらうのが狙いでした。

どんな人がいるのかよくわからないところに飛び込むのは怖いものです。 こんな人達がいるのか、ということが人や空気感からなんとなく想像できると、少しだけかもしれませんが安心できるのではないでしょうか。

これがどれだけうまく行ったか、自分がフラットに体験することは叶いませんが、参加者の方々の反応を見る限りは上々だったのではないかなと想像しています。というか、そう思いたい。

前回で手応えを感じたので、今回も同様にやることにしました:

blog.yapcjapan.org

YAPCチキン && ビール && ラムネ

これは今回のためにスタッフとして手を上げてくれたメンバーが提案してくれたのですが、やはり飲食は強くて、同じご飯を食べるだけでもTwitterやDiscordなどを通じて空気感を共有できます。

ゲスト対談をしながら進行したのも相まって、懇親会は予想を大幅に上回る盛り上がりを見せて、自分は配信現場から翌日のために素早く撤収したりなどしてその環に混ざることが叶いませんでしたが、とても楽しんでもらえるオンラインカンファレンスの懇親会にできたのではないかなと思います。

紹介しきれないくらい様々なアイディアが出て、今回は少なくとも自分だけでは作ることができなかった、とても良いオンラインカンファレンスになったのではないかなと思います。

その先の未来について

来年のことを言えば鬼が笑うと言いますが、その先の未来についても少し想像を膨らませてみたいと思います。

YAPC::Kyoto 2020の延期判断をしてから実に2年もの月日が経ちました。 YAPC::Kyotoはまだ開催することができておらず、その見通しもまだ立っていません。

ただ、希望は出てきました。

ワクチンや治療薬の開発が進み実際に接種・投与がなされたり、さらに自宅療養も含めて医療的な知見が蓄積して、COVID-19に対して少しづつ医療的に立ち向かえるようになってきていること。コロナ禍における音楽フェスなどの大規模イベントの開催などを通じて、出来る限りの対策をした上で開催されるそれなりの規模のイベントに対してのリスクがその参加者のリテラシーと合わせて見直され、ものによっては社会的な反発が少なくなりつつあること。COVID-19の感染対策への個々人の向き合い方について一定の社会的常識ができつつあること。などです。

もともとの社会に戻ってきつつあるというわけではありませんが、オフラインでカンファレンスを開催する上でのハードルは少しづつ解消されていっているのではないでしょうか。

その一方で、一定の不可逆な変化もあるでしょう。

コロナ禍においてリモートワークが中心となり、生活スタイルが変化したこと。先に紹介した記事のように、それによって意識が変わったこと。様々な事情で引き続きCOVID-19への感染リスクが高い人がいるなかでウィルスの根絶はおそらく困難であることから感染対策が全く必要がなくなる可能性はおそらく低く、少なくとも中長期的にそれを継続する必要があること。などです。

オフラインでカンファレンスを開催することができたとしても、それに安心して誰もが参加することができるかというと必ずしもそうではなく、各々が何らかのハードルを乗り越えてくる必要があると想像しています。 いったいどれだけの人がそのハードルを乗り越えることができるのか、これだけ大きな変化があったわけですので、それを予想するのは困難になってきていると思います。

個人的な話

結婚して、将来について考えるなかで、人生の厳しさ・難しさを実感することが増えたように思います。 フィナンシャルプランナーに相談したり、家について考えたりなどすると、もっと頑張らなければと思わされます。

その一方で、カンファレンスの運営業などは報酬などの発生しない、ボランティアで行っています。

一般的に、コミュニティ主催のカンファレンスの運営は業務としては行わせてもらえないことが多いので、 業務外で家庭内などプライベートでもやらなければならないことが多いなかで、その隙間をうまく使ったり時間を捻出したりしてカンファレンスの準備に充てる必要があります。

しかし、カンファレンスを主催する立場ともなれば、多くの意識や注意をカンファレンスに注ぎ込まなければなりません。 十分にリソースを割かなければ、大したことができません。

たとえば、タスクを洗い出してスケジュールを決めたり、決まったことをスケジュールどおりにただやるだけではなく、状況に応じて柔軟に素早く意思決定をする必要があります。 そのためには、その背景に関する理解やチームに対する理解がなければならず、日々変化していくそれを自らインプットし、判断するべきタイミングを見逃さずにそれを発見し判断していくことが必要です。

少なくとも、自分がそういったことをちゃんと行うには、苦手なりにそれなりの時間をそこに費やして頭を整理して集中して考えなければ、まだまだそんなことはできそうにありません。

その一方で、カンファレンス運営にリソースを割きすぎると、当然ですが本業に影響をきたします。 うまくバランスが取れないと、どちらにも迷惑をかけてしまいます。

実際、今回は個人的にはそのバランスをうまく取れずどっちつかずな状態に陥ってしまい、それぞれで十分なバリューが発揮できなかったように感じます。 特に業務に目立って支障が出たとき、迷惑をかけてしまった同僚たちにはもちろんのこと、年に限られた回数しかない評価のことなど、考えると色々と苦い気持ちになります。

じゃあそんなに難しいのになんでやっているんだという話ですが、それはやはり僕がPerlとPerlコミュニティの人々が好きで、それらのために少しでもなにか出来ることをしたいというこの1点に尽きます。 そして、その気持ちだけで何も行動をしなければ、同じように他のひとも行動を起こさなくて、そのコミュニティやカンファレンスはあっさりと無くなったりあるいは風化してしまうという現実もよく知っているからです。

だからこそ、そういった難しさと向き合いながらも、YAPC::Japanというカンファレンスに関わり続けてきているわけです。

ただ、その気持ちと実際の負担に折り合いが付かないタイミングが来たら、どうしても関わり方を見直すことにならざるを得ない場面がいずれくるのだろうとも想像しています。

その先の未来

さて、暗い未来を想像しましたが、確かな希望もあって、それはこんな記事をここまで読んでくれている皆さんの存在です。

今回のYAPC::Japan::Online 2022では、自分にできることの限界をよく思い知らされました。 そして同時に、自分にない発想をもたらして、それを実現に向けて奔走してくれるスタッフのありがたさをです。

こういった活動を自分がこれからも続けていくためには、他でもない皆さんの助けが必要で、そしてそういった個々人の負担を減らしていくためにはまだまだ多くの方々の助けが必要であるということです。

もちろん、ぼくが苦しんだようなこういった難しさと多かれ少なかれ向き合う必要はあるかもしれないし、モチベーションの大小もひとそれぞれで、そしてみんな忙しくて、なかなか難しいことは分かっています。

それでも、どうか、少しだけでもいいので、力を、時間を、頭を貸してください。 もしよかったら yapc-japan-online-2022@googlegroups.com あるいは自分のTwitter DM宛で相談をください。

もちろん、カンファレンスは参加してくれる人、発表してくれる人なども居て初めて成立するものなので、無理に裏方を手伝ってもらう必要はないですし、これまで通り普通にカンファレンスを楽しんでもらうだけでもとてもありがたいです。

それでも、他のスタッフの参加ブログなどを読んで楽しそうだなとか少し興味を持つことができたなら、最初はお試し感覚でも大丈夫なのでご相談をいただけると嬉しいです。

PerlとPerlコミュニティの人々のためのそういった場や仕組みを、いっしょに色々なことを考えて実際に行動していって、未来をいっしょに作っていきましょう!